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115 田代斜面林の昔の姿を伺いました
2006/12/24(日)00:10 - おおき えつこ - 867 hit(s)

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本題に先立ち、掲示板への投稿のお願いです。
テーマ「昔語り・暮らしと遊び」
自然と共に生きる知恵を持っていた、かつての暮らしの記録は、生き物たちの記録
と共に大切なことと思っています。
皆様からも、子や孫に伝えたい暮らし方や自然体験をいつ頃、どこで(愛川町に限
らず、できるだけ具体的に)、今のあなたの年代を明記し、掲示板にお寄せいただ
けると幸いです。
生活様式が変わり、さまざまな課題を抱える現在にあって、かつての暮らし方を思
い起こし、考える、行動するきっかけとなることを願っています。
今まで当会が聞き取りをしたものも随時掲載しようと考えていますが、ご自身の言葉
で語られる表現に勝るものはありません。折に触れ、思い出された都度、テーマから
多少ずれても、数行程度でも構いませんので、ご投稿をよろしくお願いいたします。
この欄は、始めの一歩です。

「生活の場として利用されていた段丘崖緑地」
愛川町が防災対策のために地質・植物調査・工法検討を行っている田代の斜面林の
近くにお住まいの山口勇一さんに、昔の斜面林の様子を伺いました。

50年程前の幼い頃は、お住まいの前の斜面から続く一帯がマダケの林であり、
その頃から花が咲き、枯れつつある10年くらいの間に、徐々にとって替わって
タブノキなどが占有種におどり出し、一部地域ではこうした植生を皆伐し、
クヌギやスギの植林が行われたものだそうです。
 かつては、斜面にある湧水を生活用水として利用し、手の入った明るい林内に
は、クマガイソウなどが咲いていたと伺いました。いつ頃のことか、おたずねした
ところ、次の文章を送っていただきました。
植物に詳しい山口さんならではのとても興味深い内容です。書き下した文章ですが
お使いくださいと、掲載のご了解をいただきましたことを感謝いたします。

● クマガイソウの話は40年以上前のことです。
マダケの林は、かやぶき屋根の葺き替えの材料や、籠、箕などの材料、垣根
やイネの掛け干し竿等に使うため絶えず伐採され、人の手が加えられていましたので、
林内は明るく、多様性に富んだ植生が維持されていたと、今思えば、振り返る事がで
きます。タブノキとかシロダモなどは邪魔なものとして生育することは許されていな
かったと思います。アカカシやアオキは別な用途があり、亜高木や低木として維持さ
れていたようです。

アラカシは材が非常に硬く、火力が断然強いので、薪炭(いわゆる備長炭に近いもの
:当地方ではそのようには呼ばないが)や薪の最高の材料として重宝していました。
他にドンド焼の団子飾りなどに用いられ、地域の人たちには親しみのある樹木でした。
15〜20年ごとに伐採されていたので高木にはなっていませんでした。
 
アオキは緑の草の乏しい冬の時期の牛やヤギの飼料として刈り取られていました。
アオキは林内では低木層を形成し、背たけも揃っていたので鎌で刈り取って束ね易く、
牛を飼っている家に持っていくと、子どもたちの小遣い稼ぎにもなるものでした。
(ちなみに毎冬刈り取られていたので、成熟した株はほとんどなく、赤い実をつけた
ものはほとんど見たことがありませんでした。また、草本層も形成されていたので、
斜面でも土がそれほどこけることなく、今のように歩きにくい状況ではなかったと
記憶しています。)

ケヤキは材が優れているので、将来、用材として売り物にするために、幹のまっすぐ
伸びたものは林縁や屋敷林として残されてきたものです。こうした段丘崖には、クマ
ガイソウの他に、イカリソウ、エビネ、サイハイラン、ヤブコウジ、ウラシマソウ、
キチジョウソウ、ヤマユリ、ナンテン、モミジイチゴ、ヤマブキなども珍しくなく、
生育していました。(子供のころのおままごとの材料となっていたのでよく記憶している)
また、自然薯ほりなども行われていました。

私が異変を意識し関心を持ちはじめた30年程前には状況はすっかり変わり、タブ
ノキやシロダモなどの常緑樹の暗い樹幹に覆われたり、用材の生産を目的に植林さ
れたスギや、クヌギなど(手入れがされないので用材の価値は低いと思われるが)
にとって変わってしまいました。以来、維持・管理のまったく行われなくなった
荒れ放題の里山(?)を憂いの目で見つめています。

 この段丘崖には遊水地が多くあり、ほとんどの遊水地が生活用水として利用さ
れていた。あるいは利用されていた形跡として水汲のための小道がつけられてい
て、遊水地には石やコンクリートで水溜まりが作られていた。この水溜まりの
周辺には湿地を好むセキショウやベンケイソウの仲間の植物が見られ、潤いの
ある景観を成していた。

暮れの押し迫った日にはサワガニ捕りが毎年の恒例行事のように行われていた。
(父に連れられ、バケツに3分の1程は捕っていた。我が家の正月料理の一つ
となっていた)暑い夏の昼下がりには、冷蔵庫のない時代、やかんを持って
冷たい水を汲みに行かされたり、子供同士で水遊びをするのも日課のように
なっていた。

以上です。


〔ツリー構成〕

No.115 田代斜面林の昔の姿を伺いました 2006/12/24(日)00:10 おおき えつこ (4143)
 └ No.116 町教委へ提案 田代斜面林の植生調査 2006/12/27(水)22:57 おおきえつこ (1473)

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