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2007/2/18(日)14:07 - おおきえつこ - (12933 アクセス)
助け合う村の人達 http://aikawasizen.net/cgi-topics/img/24-1.jpg http://aikawasizen.net/cgi-topics/img/24-2.jpg http://aikawasizen.net/cgi-topics/img/24-3.jpg
アスファルトの道などなかった頃で、村の道は土の道でした。雨が降るとぬかるみや水溜りが出来、冬になるとそこに氷が張り、滑って危ないので、村では各集落毎に話し合って道普請の日を定めていました。集落中の家から一軒に一人ずつシャベルや、つるはし、鎌や唐鍬など色々な道具を持って集まります。朝から道の草刈り、デコボコになった道を平らに削り、水溜まりが出来た所へ川原から砂利や砂を運んで敷きつめ、道の両側に溝を掘って雨水が流れ込むようにし、大きな石や木の根などを取り除き道をきれいにします。
この日、道普請に出られなかった家はデビソクという一定のお金を出すきまりがあり、集まったお金でお酒を買い、ごちそうを作って、この日働いた人達に食べてもらいます。道端にむしろを敷き、一日の労働を終えた人達が疲れを忘れて仲よく楽しそうにお酒を酌み交わし、歌ったり大声で笑ったりしています。一日、一つ事に協力し合う大人達の姿を、子供達はまわりから見ていました。
集落ではこうして自分達の生活を守るために、色々な共同作業をしました。自分達が利用している川の川底をきれいにさらう川ざらい。冬、害虫を退治する野焼き。夜、拍子木をたたきながら「火の用心」と大声あげて歩く火の番は当番制になっていて、提灯と拍子木が順番に家々に回って来ました。こうして集落の人達は一家族のように助け合って生活していました。
集落の中央に小屋が建っていて、結婚式やお葬式の道具等、当時は土葬だったので棺(ひつぎ)を入れて担ぐ輿(こし)から、結婚式の飾りの島台から、食器、座布団まで備えつけてあり、集落で結婚式や葬式があると皆そこから道具を出して使いました。また小屋の一方に消防ポンプが消防ポンプが置いてあり「火事だ!!」という時、自分の仕事を投げ出して駆け集まり、ポンプを引いて火事場に急行する若くて元気な男の消防団が出来ていました。
こうした大人達の生活を見ていると、人々の役に立ちたい、僕も世の中の役に立っているのだという誇りを持ちたいと、子供は皆そう思っていました。
僕達は小学校三年生位から高等科の生徒で話し合い、少年団をつくろうと、子供達に人気のあった青年に団長になってもらって色々と指導してもらい、「下の街道少年団」をつくりました。リヤカーを引いていって川原から砂利や砂を取って来て道の水たまりやぬかるんだ所に敷きつめたり、ミカン箱でゴミ箱を造り、あちこちの道端に置いて、道のガラスかけらやごみを拾って入れたり、しまいには集落の火の番を九時まで引き受ける事にしました。するとうちのお父さんと屋根屋のおじさんの二人で、消防ポンプの小屋の傍へ一坪位の中にいろりのある小屋を建ててくれ、お父さんが厚い板に「下の街道少年団」と大きい表札を書いてくれました。
少年団は三人の当番制で交代で夜この小屋に集まり、いろりを囲んで楽しく語り合い、一時間毎に拍子木をうち「火の用心」と、声を張りあげながら集落中を回って歩きました。
寒い夜などは団長に剣道具を借りて竹刀で勝負をして、身体を温めて寒さとたたかいました。
こうした子供の頃した事はけっして大人から命じられてした事ではなく、子供達が自分で考え進んで行ったのです。大人達や兄さんや姉さんの生活ぶりを見ているうちに、自分もああしなければいけない、自分も役に立っているという喜びを心の中に持ちたかったのです。
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